芸術に溺れた中高時代
小さい頃から、音楽や絵など芸術方面に興味があって、小学生のころは、お気に入りの漫画1ページ1ページを模写して描くくらい絵を描くことにどっぷりはまってました。
音楽にも、小さい頃から興味があって、6歳くらいの頃、自分から「バイオリンを習いたい」と言ったこともありました。
結局バイオリンは、お金がかかりすぎるので習えませんでしたが、本格的に音楽をはじめたのは中学の時です。
バイオリンと同じ弦楽器のギターに出会い、知り合いにギターを譲ってもらいました。
そこからはもう絵と音楽三昧。芸術に溺れていた中高時代でした。
中学の時は、軽音部がなかったので、サッカー部に入ってましたが、自宅でギターを弾いてました。
高校に入って、念願の軽音部に入部してバンド活動をはじめ、そこからはもう音楽漬けの日々でしたね。
絵もそうですけど、やっぱり芸術は自分の核になってます。今もギターは僕の精神的な支柱です。
大学は、音楽を伝える架け橋になりたいと思い、新聞学科へ
大学は、法学部新聞学科という、報道を学ぶところに進学しました。
ここにも実は、音楽が関係しています。僕は、「音楽は、メディアの伝え方次第で受け取り方も変わる。
音楽を啓蒙するには、メディアの力が不可欠だ」と感じていたので、報道を学ぶことで、「音楽と受け手の架け橋になりたい」と思ったんです。
そんな目標もあったので、大学ではサークルにも入らず、勉強一本でやっていこうと思ってました。
実際、さぼったり遅刻したりすることなく、真面目に授業を受けてましたね。
授業、バイト、音楽、バイク、「人生って楽しい!」充実していた大学生活
サークルには入りませんでしたが、音楽は高校時代の先輩と続けていました。
また、それとは別に、大学に入ってから新たにバイクにも乗り始めました。
もともと父と兄がバイクに乗っていたので、高校時代から興味はあったんですが、高校の時はお金がなくて免許もとれなくて。
それで大学入学後、バイトでお金を貯めて、1年生の秋にはバイクの免許を取って、その年の冬にはバイクを買って、最終的には大型自動二輪の免許もとりました。
バイトはお酒の配達の仕事をしてたんですが、扶養を超えないギリギリ、毎月10万円前後稼いで、そのほとんどを、バイクと音楽の機材につぎ込んでましたね。
・・・授業の合間にバイトして、休日は朝6時くらいに家を出て、バイクで箱根とか千葉方面まで走りにいくような生活です。
それで音楽も続けてたんで、この頃は、授業、バイト、音楽、バイクと、毎日ものすごく充実していて、「人生って楽しいなー!」って思ってました。
充実した大学生活を送っていたら、「実は家計が苦しい」と母から突然の告白
そんな感じでキラキラした大学生活を謳歌してたんですが、大学2年の前期が終わる夏ごろ、母から突然、「実は、お父さんの仕事が厳しく、奨学金をもらっていても家計が非常に苦しい」という告白を受けました。
ウチの父は自営でタイル職人の仕事をしていて、それまでも経営が厳しそうに見えることはあったのですが、僕が親に「大丈夫?」と聞いても、「大丈夫だから家計のことは気にせず大学にいきな」と言われてたんです。
ところが実際は、もともと大学に行かせるのは厳しい状況だったみたいで、それでも両親は、「大学にいかせてあげたい」という親ごころから無理してくれてたみたいで・・・。
僕はそんな事情を知らなかったので、母から告げられた時はとても驚いたのですが、同時に、そうした家の事情や親の気持ちに気付けなかったことにショックを受けました。
・・・もっと深く親と向き合って、「本当に大丈夫なの?」と確認していれば、家の苦しい状況にもっと早く気づけたかもしれない。
なのに自分だけ何も知らずに、のうのうと大学生活を謳歌していて、申し訳ない・・・。そんな気持ちでいっぱいになったんです。
家の状況に対しては、バイトをしながら自分で学費を払って大学生活を続ける、という選択肢もあったのですが、夏休みの間、1~2か月ほど考えて、最終的には自分で、大学を辞める決断をしました。
当時は、「家の事情で中退しなければならなくなった」とだけ思っていましたが、今、思うと、そうした出来事に直面した時にすぐに諦めてしまう自分、というのもいたと思います。
大学中退を決意し、気持ちも新たに職人の世界へ
親から「家計が厳しい」という話をされた時、親には「もし大学を辞めるなら、お父さんと一緒にタイル職人の仕事をやってくれないか?」とも言われていました。
父の仕事のことはそれまで全然知らなかったのですが、“知ることで見える世界もあるんじゃないか”と思い、職人の世界に入ることを決めました。
その時は「心機一転、頑張ろう」という前向きな気持ちでしたね。
それで、大学2年の時の9月から、父と、すでに父と一緒に職人をしている兄に合流する形でタイル職人の見習いの仕事を始めました。
大学は、その翌月の10月に正式に中退しました。
実際に働きはじめると、職人の世界は想像以上に大変です。
上下関係も厳しいですし、技術面の習得にものすごく時間がかかるので、すごく苦労しました。
それでも、大学を中退して父の下で働くことは、よく考えて自分で出した結論なので、後悔はありませんでした。
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職人の世界から、視野を広げるため企業への就職を決意
ところが、職人として働きはじめて半年くらい経ったころから、「このまま職人を続けていていいのかな?」という思いが芽生えてきて、企業に就職することを考えはじめました。
理由は大きく2つあります。
1つは、給与です。ちょうどそのころ、専門学校に進学していた友達が、卒業して働き始めたんです。
当時、僕の月給は10~15万くらいでしたが、就職した友達はもっとたくさんもらっているようでした。
父からは、「職人として見込みはある」とは言われてたんですが、「一人前になるには10年かかる」とも言われていて、僕は“30歳で一人前になるまで頑張ってもいいけど、もっと早めに結果がほしい”と思ったんですよね。
もう1つの理由は、視野を広げたいというものです。
職人の父に育てられて、父も兄も自分も、全員、職人をやっている。家族経営で、みんな職人となると、僕の子どもとか、次の世代に、狭い視野でしか物事を伝えられないんじゃないかと思ったんです。
“社会に出て企業に勤めたら、職人の目線に加えて、会社員の目線も持つことができて、もっと視野を広げることができるんじゃないか”と思いました。
そんな思いがあって、結局、職人として働き始めてちょうど1年になる夏ごろ、就職することを決意しました。
技術面で、できることも増えてきたところだったので、両親は僕の成長に期待してくれてたと思います。
そんな両親の期待を踏みにじる形になってしまいましたが、最終的には僕の決断を応援してくれました。
就職活動については、正直不安もありました。
僕は中退してすぐに職人の仕事を始めたので、就活のことは何も知りませんでしたから。
でも、「絶対うまくいく!」と、自分に暗示をかけて、前しか見ないようにしていました。
しかしいまいち就活が進まず・・・。「このままじゃダメだ!」と思って一人暮らしを開始し、間もなくジェイックと出会う
就職しようと決めたものの、すぐに職人を辞めたわけではなく、最初は、職人の仕事を続けながら自己流で就活をしてました。
ところがやっぱり、中途半端になってしまい、だらだらと半年くらいその状態が続いてしまって・・・。
「このままではいけない!」と思って、就職を決意した翌年の1月に、職人を辞めて実家も出て、一人暮らしをはじめました。
退路を断って「就職するしかない」という状況に自分を追い込んだんです。そこから本格的に就活をはじめました。
それで、いろいろ調べる中でジェイックを見つけ、直感的に「自分が進むべきはここだ!」と思いました。
いろいろ学べそうだし、自分に合っていると感じたんです。
その直感は結果的に大正解でした。
就職アドバイザーの青木さんが、すごく親身になって僕の話を聴いてくれて、今までの人生とか、生き方を肯定してくれたんです。
すごく嬉しくて、あたたかい気持ちになって、「ここで頑張ろう!」と気合いが入りました。
カレッジで、自分を変えることができた
今まで僕は、あまり主体的に意見を出したり、議論したりすることなく、まわりに流されて生きてきました。
人前で話をするのも苦手で・・・そんな自分を、カレッジに参加することで変えたい、変えよう!と思って参加しました。
講義は、思ってたよりもずっと厳しかったです。
変わりたいと思っているのに、無意識に今までの自分に戻ろうとする自分もいて・・・、といった難しさもありました。
でも無我夢中で、「自分を変えて、この先にいかしていくんだ!」と、必死に食らいついて、なんとか最後まで乗り越えました。
そしたら、本当に変わることができたんです。
人前で発表することも苦にならないし、人の視線も気にならない、自分の意見もしっかり発言できるようになりました。
また、「すぐに諦めてしまう自分」にも気付くことができ、「これからは何事も諦めずに努力していこう!」という向上心も持てるようになりました。
こんなふうに変われたのは、自分が講義中に頑張ったからというのもありますが、やっぱり周りの人の支えがあったからだと思います。
ジェイックのスタッフもそうですし、ずっと応援してくえていた家族や彼女にも、感謝の気持ちでいっぱいです。
ジェイック社内に貼ってあったポスターで、運命の出会い
厳しいカレッジを乗り越えた自信と、変わることができたという実感もあったので、集団面接には堂々と臨むことができました。
でも実は、僕が今勤めているアービックという会社との出会いは、集団面接ではありません。
カレッジの教室に貼ってあったポスターが、僕とアービックとの出会いなんです。
アービックは賃貸不動産の会社なんですが、実は僕はもともと、不動産系に興味がありました。
なぜかというと、僕も一人暮らしをはじめた時に、客として不動産屋さんを何件も回ったんですが、その時に対応してくれた人の仕事ぶりを見て、“不動産の仕事って、人と人とのつながりが大切な仕事だなあ”と興味を持ったからです。
だから僕は、実はジェイックに参加する時から、“ジェイックが紹介してくれる企業の中に、不動産会社があるといいな”と思ってたんです。
そんなときに、カレッジの教室にに貼ってあったアービックのポスターが目に入って、「わ!不動産会社あるじゃん!」と、すごく嬉しくなって。
そこで、ポスターを見たその日、カレッジの日報に「ポスターが貼ってある、アービックにとても興味があるのですが、企業紹介で紹介していただくことはできますか?」と書いてみたところ、後日、ジェイックのスタッフからみんなに、「今回の集団面接には参加しないのですが、アービックという会社の企業紹介もします。
興味がある人は声をかけてください」とアナウンスがあって、企業紹介をしていただけたんです。
企業紹介を受けて、自分でも調べてみたところ、社訓や企業の方針からお客様を大切にする姿勢が伝わってきて、他の不動産会社にはない魅力を感じました。
アービックなら、僕が大事にしたい、人と人とのつながりが学べるんじゃないかと思ったんです。
内定の電話に、思わずガッツポーズ
そんなわけで、企業紹介の時からアービックが圧倒的に第一志望だったので、「集団面接会には出ないほうがいいんじゃないか、中途半端に出ても迷惑になるのでは・・・」とも思いました。
でも僕は、第一志望はアービックでしたが、営業の仕事には全体的に興味があったので、“他の会社の話も聞いてみたい”と思い、集団面接会に参加することにしました。
実際、参加して話を聞いてみると、面白そうな会社がいくつかあり、最終的にアービックを含めて3社の個別面接に進みました。
アービックの個別面接のときは、本当にドキドキでしたね。
3社の中で、アービックの面接が最後だったんですが、一番緊張してました。何時間も前から面接会場の近くに到着して、公園でひとり気持ちを整えたりして。
で、無事面接が終わって、帰りの電車に乗っている時にジェイックの担当の方から電話がかかってきたんです。
アービックの内定と、他の2社の結果を伝える電話でした。
2社中1社は内定をいただけたのですが、その場で辞退をさせていただいて、「アービックに入社したい」と伝えました。
第一志望のアービックから、それも面接後すぐ、内定の連絡をいただけたことがあまりに嬉しくて、いてもたってもいられなくなって・・・。
全然知らない次の駅で途中下車して、ホームでおもいっきりガッツポーズしちゃいました。
“努力は実るんだ”という達成感や周囲への感謝の気持ち、“これから頑張ろう!”という意気込み・・・、いろんな思いが込み上げてきて、すぐには帰る気になれなくて、しばらく余韻にひたってから帰りました(笑)。
両親も、内定を報告したら、とても喜んでくれました。
就職が決まる前に家を出て、無職のまま一人暮らしを始めたので、内心すごく心配していたと思います。
「おめでとう、社会は厳しいけどがんばれ」と背中を押してくれました。
お客様からの「ありがとう」の一言が原動力
実際に働いてみると、想像以上に学ぶことが多く、日々成長してるのが自分でもわかります。
社内は同年代が多くて、みなさん優しく、時に厳しく、親身になって教えてくれるので毎日楽しいです。
入社前の企業研究で、「ここなら・・・!」と思った自分の直感は間違ってなかったというか、入社前のイメージ以上の会社でした。
会社の事業内容は賃貸仲介を主力とした不動産業です。
僕の仕事は営業で、具体的には、お客様からの問い合わせに対応したり、お部屋を紹介したり、案内をしたりしてます。
あとは、お客様に紹介するお部屋の現地調査や、写真撮影なんかもしてます。
最近、やっと1人で、お客様の接客を担当させてもらえるようになったんです。
自分あてに電話をもらったときや、無事に部屋が決まった時にお客様から「ありがとうございます。よろしくおねがいします」と言ってもらえた時は、一番やりがいを感じますね。
今後は宅地建物取引士の資格をとって、店長やその上も目指していきたいです。
今は希望と意気込みとやる気しかありません。「這いつくばってでも進んでやるぞ!」という気持ちです。
やむを得ない事情で大学を中退する人、中退を検討している人に向けてのメッセージ
「あきらめないでほしい」というのが一番です。
中退することになって、人によっては「最悪の状況だ」と落ち込んだり、引け目を感じたりしてしまうかもしれません。
それでも、自分をダメだと思わないで、諦めないでほしいです。
「自分は変わることができる」という気持ちで突き進んでいれば、環境も含めて、絶対変えることができると思うので、ポジティブに気持ちを高めていってほしいですね。
数か月前の自分には想像できないような変化が僕には訪れたので、とにかく絶対にあきらめないでほしいです。
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※2023/2~2023/7に入社した人材の3か月定着率
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